仕事終了後、トシが珍しく俺を呼び付けた。
真選組副長としてではなく、一人の男として。
『愛することに疲れてしまった』〜闇と覚悟と〜
「入るぞ」
軽く襖をノックして、そっと扉を開く。
机の向こう側で、トシの煙草の煙が宙を泳いでいた。
「どうしたんだ、急に」
よっ、と腰を下ろす俺に、
トシは少し微笑みながら、だけどどこか哀しげな表情を向けた。
「何か……悪いな、こんな時間に」
「なぁに、気にするこたぁない」
明るく笑ってみせる俺。正反対に眼が暗く鈍い色のトシ。
仕事中はそう感じなかったが、二人きりだと変な違和感を強く感じる。
こんな眼は……江戸にやってくる時以来だ。
「で、俺に頼みって何だ?」
「……あぁ」
きゅ、と煙草を灰皿に押し付けながらトシは言った。
「伝言を、頼みたい」
「伝言?」
小さく頷いたトシが、空を流れる煙の余韻に目を向ける。
「……へ」
聞き覚えのある名前を耳にした俺は、不思議に思って片眉を寄せた。
「?別に俺に頼まんでも、お前らは充分仲良かったじゃねーか」
「……だから、さ」
そう意味深に呟くトシに、ますます俺は訳が解らなくなった。
という女は、トシの昔からの想い人だった。
はたから見る二人はいい雰囲気で、だけど結ばれる事は決してなかった。
かたや悪ガキ、かたや武家の一人娘。
そんな事、お互いが一番解っていただろう。
俺らが江戸に上京する時、泣く泣く別れた二人だった。
しかし数年前、は家も身分も全てを捨ててトシを追って来た。
家出か勘当かは知らない。
それでも彼女はコイツを追って来た。
が江戸にやって来たとは言え、
お互いの生活はバラバラで、逢う事は昔に比べたらままならなかったらしい。
それでも二人は……お互いの存在が近くにあるだけで幸せそうだった。
なのに、どうして。
「俺は……あいつの隣にはもう立てねー」
そう呟いた後のトシは、
どこか無理矢理に哀しみを堪えている表情で、
ぽつんぽつんと言葉を吐き出した。
昔から気付いていた。
それこそ、あいつに出会ったあの時から。
―――俺達が一緒になる日なんか訪れないと。
それでもその現実に目を背けてきた。
いつの日かきっと―――
そんな儚い想いを胸に抱きながら。
だけど結局……
夢は所詮夢なんだと、改めて知る羽目になった。
背けていた現実が足音も立てずにすぐ背後までやってきていて、
更に追い討ちをかけるように、1度捕まると抜けれない闇まで迫っていた。
俺たちに襲いかかろうとする闇は、同じ種類ではなかったけれど。
自分を保つ為、距離を置こうとすればするほど気が狂いそうになる。
かといって傍にいれば全身の血がざわめく感覚に囚われる。
…あいつを想えば想うほど、ますます俺は自分自身の葛藤に呑まれそうになった。
愛するあいつを目の前に、愛し続けるなんて無理なんだ。
情けない程に愛おしい。
だからこそ、俺はもう、あいつを幸せになんかしてやれないんだ。
ただでさえ俺は生と死の狭間で生きているんだ。
そんな俺に未来永劫傍にいるという約束なんて出来ないだろ?
あいつは俺とは住む世界が違うんだ。
一緒になんかいてはいけない。
気付いてしまったんだ。
本当は昔から気付いていた想いに、改めて。
もうあの日々に戻れない事ぐらい、俺達は最初から解っていた。
だから……
そこで、トシの言葉が途切れた。
無表情を取り繕うとしている本人は気付いていないのだろうが、
表情がほんの少しだけ変わった。
どうやら、トシが一番言いたくない、だけど言わなきゃいけない言葉らしい。
トシも腹を括ったのか、
軽く首を振った後に、閉じかけていた口元を再び開いた。
……だから、近藤さん。
「愛することに疲れてしまった」と、そう一言だけ伝えてくれ。
この世で一番俺が愛したあいつに、今更だが弱いとこを見せたくねぇんだ。
最後の最後まで、意地ばっかり張りやがる悪ガキのままで居た方がいい。
自分の弱さをひたすら隠そうと格好をつける、昔のままで。
「嫌われる覚悟は出来てる。……寧ろその方が楽かもしれない」
相変わらず宙をぼんやりと眺めるトシ。
その眼は何を捉えているのだろうか。
少なくとも、俺がいるこの空間内のものではないだろう。
コイツが馳せるもの……それは。
ふぅ、と小さく息をついて俺は頷いた。
「……あぁ、解ったよ。にはそう伝えておく」
そうして再び立ち上がる。
立ち上がり様にトシの視線を感じた。
「……すまねェ、近藤さん」
「すまねェと思うんなら、もうそんな眼すんな」
仮にも真選組副長だろう。
お前がしっかりしてくれないと困るんでな。
そうして背中越しに「じゃーな」と手を振って、俺は静かにその部屋を後にした。
どうやら女は、江戸に来てから重い病気に罹ったそうだ。
それを男には黙っていたらしい。
そしてそれに、男は最近気付いたそうだ。
しかし、男が気付いた時にはもうどうすることも出来ない状況だった。
女は男の傍で、闇に呑まれる事を堅く決意していたから。
ちょうどその頃、飛び出した家から「帰って来い」との連絡が頻繁にあり、
それでもそれを拒む女の理由が自分自身だと知った男は、苦渋の決断をした。
病弱な彼女を傍に置いておいても、確実に守れるかどうかは解らない。
責任感の強い男はそう思ったのだろう。
まぁ……責任感以上に大きな思いはあっただろうが…な。
同時に、男自身限界だった筈だ。
自分自身の中で波打つ、黒い獣が潜んだ闇を押さえつけておくのも……
だから安全な親元へ返そうと、この男は芝居を打ったのだ。
「愛することに疲れてしまった」と、下手な芝居を。
男が馳せていたもの―――それはきっと、女の幸せな顔。
儚く揺らいで消える煙に、その表情を重ねていたに違いない。
「不器用な男だよ」
静まり返った廊下を歩きながら、俺は独り呟いた。
「……不器用で、優しすぎる男だ」
静かすぎて逆に恐ろしいぐらいの冷ややかな廊下の中を、
俺はゆっくりと歩を進めていった。
「どうせなら……生きる覚悟をして欲しかった」
男の願いは……背けていた現実の代償として、静かに響き渡るだけだった。
――――――――――
今度は近藤さん目線の土方さんの恋愛模様です。
土方さんは優しいから、絶対無理強いに自分の欲望を押し付けたりしない!
……と、思うのですが。うん、私の中の土方像はそんな感じです。
大事にしすぎて自分を苦しめるタイプ。
まぁ要するに不器用なんですよね……
そこが彼のいいところ♪