近くて遠いこの距離間。
埋める事が出来ないまま、時だけは流れていく―――
『この想いを告げるのは近すぎて』〜背中の重み〜
「トーシロー!」
ある夏の日。
木陰の下で煙草の煙を泳がせていると、高らかな声が遠くから俺の名前を呼んだ。
あぁ、来る―――
この後、パタパタと駆けてくる音が聞こえて、
最終的に背中から腰にかけてボスッと重たい感触を受けるだろう。
ふーと煙を吐き出すと同時に、予想通りに足音が近付いてきた。
そうして次の瞬間には、ボスッという鈍い音と共に、
背中に何かが抱きつく衝動、感触を感じた。
それは、俺が長年培ってきた―――彼女からの信頼の証。
「テメー……毎度毎度いってーなァ」
背中に抱きつく彼女の方に、半ば呆れた視線を向ける。
しかし内心には、言葉とは裏腹にこの衝動や感触を心待ちにしている俺がいる。
「にしし」
呆れた視線に照れたような悪戯笑いを見せる彼女は、俺の昔馴染みの。
小柄なその体に有り得ないぐらいの元気と体力を秘め、いつも明るくタフな彼女。
家事・炊事なんかは苦手なのか、見ていて愉快な事この上なしだが、
その愛らしさと元気さで、隊の人間から結構な羨望を受けている。
「あ!」
俺の背中で彼女が嬉しそうな声を上げた。
見る見るうちに、表情が赤らんでいく。
頬を染める理由なんて、彼女の視線の先を見なくても俺には解った。
「……行けば」
そう呟いて煙を吐き出すと、
俺に抱きついている事を忘れていたらしい彼女が、驚いて俺を見上げた。
もう一度、今度は無言で行けと合図すると、彼女は微笑んで頷いた。
「いってきます!」
そう言うや否や、一目散に彼女は駆けて行った。
目線の先にいた、近藤さんの元へと。
今まで感じていた背中の温もりが、
一変して冷たく感じたのは言うまでもないだろう。
彼女には好きな人がいる。
もうお解りだろうが、俺の上司で、仲間で、良き友達である近藤局長だ。
俺の視線の先に彼女がいた様に、彼女の視線の先にはいつも近藤さんがいた。
「俺も一途だよなァ……」
そう呟いて、フンと小さく笑う。
彼女の眼中には俺なんかいない。
そんなの、当の昔に気付いていた。
彼女の目には男としてというより、寧ろ親友としか映ってないだろう。
唯一相談出来る男友達……というのが多分、彼女の中の俺の役割。
そんな俺に勝ち目なんかある筈もない。
女々しいかもしれないが、“親友”という響きも嬉しいと言えば嬉しい。
でも、好きな女には男として見て欲しい。
そう、見て欲しいのは山々なんだが……
そこまで思って、じっと楽しそうに会話をする二人を見つめる。
彼女は近藤さんの横にちょこんと並び、
近藤さんへだけの笑顔を見せながら笑っていた。
……幸せそうな面しやがってまぁ。
短くなった煙草を捨て、もう一本懐から取り出す。
そうして火をつけた後に、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
彼女は、近藤さんに抱きついたりしない。
近藤さんに限った事じゃない。
他のメンバーに抱きつくところも見たことがない。
どうやらその特権は“親友”である俺にだけらしい。
自分にだけ抱きついてくれる。それは嬉しい。
でも、近藤さんへだけの笑顔というのも正直面白くない。
俺は欲張りなんだろうか。
……彼女を応援したいという思いは嘘なんかじゃない。
近藤さんはいい人だし、報われて欲しいとも思う。
だけど……
近藤さんには好きな女がいる。
例え報われなくても、ずっと想い続ける女が。
それはアイツも解ってる事だ。
自分が報われる事はないと。
だけど好きなのは止められねーんだよな……
痛い程に、よく解る。
本当は解りたくもねェのに、な。
視線の先にいる笑顔の彼女には、俺の姿なんて見えちゃいない。
それと同じで、近藤さんの視線の先にも、彼女の姿はないのだろう。
正直言うと、こんな状況はそろそろ嫌気が差し始めている。
誰も報われない、この状況に。
……だけど、敢えて何もしない事を決意した。
好きだから失いたくない。
好きだけど、好きだからこそ友達でいる。
友達なら失うこともないし、傍にいることも出来る。
相談に乗る事だって、遊ぶ事だって出来る。
ただ、自分の気持ちに気付いてもらえないだけで―――。
遠くにいる二人の姿をじっと見つめたまま、
しばらく俺はその場に佇んでいた。
彼女からは信頼を寄せられている。
それでもう満足しなければならないのだ。
それ以上を望んではいけない。
―――だって俺はお前の親友だから、な。
俺は小さく笑った後で煙をゆっくりと吐いて、そっとその場を後にした。
幸せにしてやりたい。
そう思っていても俺にはなにも出来ない。
彼女を“女”として幸せにしてやれるのは、“想い人”である近藤さんだけなのだから。
俺ではない、想い人だけ……
だから俺は友達でいい。
今のまま、これ以上何も進展がないまま時が経てばいい。
そう願う俺がいる。
想いを伝えるには近すぎて、遅すぎた。
―――仕方がない。
そう胸に言い聞かせて、今日も背中に彼女の重さを感じる。